厚顔無恥な人間の精神は理解し難く、そして凄く強いと思う。
対人関係で嫌なことがあって、このブログに書き散らしてやろうかと思った。
そして10分ぐらいつらつら書いたけど、アホらしくなって止めた。
どんだけ言葉を尽くして自分の正当性を主張しても、
相手がいない場所での文句は、自分を正当化していることを否定できないからだ。
これが泣き喚く子供なら理解できる。
僕は悪くない、絶対にあいつが悪い。
親は苦笑いしながら「でもあなたに悪いところはなかったの?」と自制を促すべきだ。
だけど、30も近い男がこれだと手に負えない。
自分は悪くない、相手が悪い。
自分の理解できないものはつまらないもので、
自分が好きなものは面白くて意味のあるものだ。
挙句、愚痴を書き連ねるのだ。
愚痴の対象となる人物がフレンドにいる(見ることができる)にも関わらず、
mixiのコメントでぐだぐだと。
そこには口八丁で自分を正当化する言葉すらなく、ただ文句だけ。
言葉を尽くさずとも、自分が正しいと信じているのだ。
馬鹿もここまで行くと賞賛の念すら起きる。
どうやって生きていればそこまで腐ることができるんだ。
そして、そうやって自分を省みることなく生きられたら楽だろうなと羨ましくもある。
よく考える人ほど、生き辛い。
現代より原始時代の方が人類は幸せだったのかもしれないね。
と、書いたけど、これも結局悪口だなぁ。
と、また自省する。こうなると何も動けなくなるから、頑張ってこの記事を投稿する。
多分自分のほうが正当性があると信じてね。